京都在住 アートNPO代表さとうひさゑの日々の記録です
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カテゴリ:雨傘文化論( 4 )

コラム 久しぶりに絵を描く

アート・プランまぜまぜのメールマガジンに掲載したコラムを
転載します。


まぜまぜコラム
<久しぶりに絵を描く> さとうひさゑ


 先日、依頼を受け久しぶりに集中して絵を描く機会があった。といっても、大げさなものではない、「暮らしと生き物とのかかわり」を説明するための、農村の暮らしの風景を描いた挿絵イラストだ。

 わたしは、高校生の頃に美大進学予備校に通っていたので、毎日2、3時間は絵を描いていたし、夏休みは夏季集中講座で1日8時間デッサンや油絵を描いていた。集中して絵を描いているときは、家に帰るバスに乗りながら、窓に映る景色1つ1つをどう描こうかと考えていた。結局、芸術学系の学科を選んだので、デッサンは受験では使わなかったが。

 しかし、デッサンに教えられたことは、人にリアリティを持って何を伝えようとするときの技術として自分の中で生きていて、「光があたってよく見える部分は輪郭だけを密度を薄く描き、見えていることよりも見えない部分を意識して影を濃密に描くことで、モノはリアルに見える。」というテクニックを、文章を書くときも意識している。

 さて、10数年ぶりに集中して絵を描いてみて、当たり前ながら高校生の頃より経験のストックがあることに驚いた。「見る、触る」という経験や知識が着実に自分のものになっていることを確認できたのだ。どういうことかといえば、今回の絵は写真やイラストを参考に描いたのだが、ナマズの絵を描いているときは、唇の厚みであるとか、泳いでいるときの水の流れとエラ動きをリアルに思い浮かべることができたし、イノシシを描きながら獣の臭いやの毛の硬さを思い出すことができた。体験だけではなく、農村の生態系についての知識もあの動物はこの場所、あの植物も描きたい・・・と次々に浮かんできた。思い描いたものを再現できたとはとても言えないが、確実に「あの頃」には描けなかったものが描けたという手ごたえがあった。

 思いのほか、普段していなかったアウトプットをしてみることで、自分自身の成長を感じられる機会ができた。10代のころは自分の表現をしなければ、新しい発見をしなければという焦りがあったように覚えているが、こうして年齢を重ねて、自分の経験を確認しながら絵を描くことが楽しいことを発見した。

 生涯学習としての絵の講座は、「うまく描く」より、自分の見方や経験を確認していく作業が合うのではないだろうか。表現と生活はそうやって両立するのが理想なのではないかと思うようになった
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by amagasato | 2011-05-09 21:43 | 雨傘文化論

まちなかとホワイトキューブ

9月4日にあいちトリエンナーレに行ってきました。

f0062601_22513783.jpg


時間も限られていたので
・名古屋市美術館
・長者町会場(まちなか)
・愛知芸術文化センター

と3箇所をめぐりました。

久しぶりに行った国際展で、あらためて思ったのは
ホワイトキューブは美術作品を展示する場として優位である
というなんとも当り前のことでした。

f0062601_2251118.jpg



正直なところ、まちなか会場で見た作品で、ホワイトキューブの方がよく見えるだろうという
作品がいくつかありましたし、
芸術文化センターで作品をみながら、「もしこの作品が長者町会場だった・・・」と想定すると
「こんなに興味を持って見られなかったかもしれない」と思った作品もありました。

それでも、「この場でなければ存在できない」作品というのもいくつかあって、
そういう場との緊張感がある作品は、作品そのものの善し悪しとは別次元で「まちなか」
に存在する意味があるように映りました。
 
 作品のみの「善し悪し」だけで鑑賞できるように、近代に出来上がったのがホワイトキューブで
近代を超えて行こうと、わたしたちはしているわけで、「まちなか」での展示をするにあたっては、
むしろ「ホワイトキューブ」を意識して、それを超えたところで作品が成り立つような意識が必要ではないかと。

アートプロジェクトなど、ホワイトキューブ外で美術展示が当たり前になる中で
自戒を込めて、そんなことを思ったのでした。
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by amagasato | 2010-09-07 22:55 | 雨傘文化論

うたは文化

少し前の話になるんですが
BAR ATHAの一周忌パーティーが4月末にありました。

いろいろ、楽しい出会いのあるバーで、わたしは常連だったのです。
音楽をしている人もたくさん、集まっていて
一周忌パーティーはATHAゆかりのミュージシャンが一同に介して
沖縄なのか、アイリッシュなのか、はたまたアラブなのかこの渾然一体
としたテンションがなんともATHAらしくて、わたしもハイテンションでした。

さてと

本題に入るとして
この音楽ラインナップなかにギターの弾き語りをする人がいて
失恋の歌を歌うのですが
彼のまったくメジャーでないうたをみんなで一緒に歌ってしまえる
ところが、「文化」だなあとおもった といういうことを
書き留めておきたいと思ったのでした。

同じ歌が歌える
って、「文化」以外のなにものでもないと思うのです。

ATHAはひとつの文化だったのだと思います。
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by amagasato | 2010-06-15 21:59 | 雨傘文化論

コラム掲載


まぜまぜメールマガジンに掲載したコラムです。


【コラム】


先日、大阪で天若湖アートプロジェクトについて話をする機会があった。もともとアートに携わっている人が多い会だと聞いていたので、映像作品や寄せられたエッセイの朗読を通して、天若湖アートプロジェクトを追体験してもらえるようにと工夫した。こじんまりした会だったこともあって良い雰囲気で進めることができた。

 シリーズとしてアートマネージャーを招いているというこの会。終了後、参加者の1人に「これまでのアートプロジェクトと違って文化という言葉がたくさん出てきたのが印象的だった」という感想を頂いた。云うまでもなく天若湖アートプロジェクトは、ダムができる以前の天若地区の文化を強く意識したアートプロジェクトである。

 今は「アート」と呼んでいるが、私としては数年後には文化として地域に根付いてほしいという希望も持っている。

 そういえば以前、まぜまぜの活動紹介の際に「アートNPO」で はなく「文化NPO」と紹介されたことがあった。外部の人だったが、その人の 中でまぜまぜの活動範囲は「アート」ではなく「文化」と称したいものだったのであろう。

 「文化」というとあまりにも広くて取りとめがないが、文化の中にはアートから始まったものがある。じゃあ、アートと文化の線引きとは何だろうか?という問いを持たれるかもしれない。難しい定義はさておき、実感として言えば受け取る人にとって「不自然(アート)」か「自然(文化)」かの違いではないかと思っている。2002年からの活動を振り返ると、まぜまぜの活動区域はざっくりとその辺り(アートから文化への移行地点)なのではないかと思う。(理事長:さとうひさゑ)
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by amagasato | 2010-03-13 19:16 | 雨傘文化論